【大坂城 平成の大改修 築城の歴史とその変遷】 映画「中之島」製作グループ 第6作 平成10年 1998年
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 Published On Oct 16, 2020

第6作 【大坂城 平成の大改修 築城の歴史とその変遷】 平成10年 1998年 50分

大阪の中心を流れる淀川。その支流である堂島川と土佐堀川の豊かな水の流れに抱かれた中洲中之島は、江戸時代に始まり明治、大正、昭和にかけて開発され、人々が集まり栄えてきた。それぞれの時代を代表する名建築物と美しい景観によって、「大阪の顔」と呼ばれるこの街の真の姿を映像化しようと、1972年、「映画〝中之島〟製作グループ」が結成された。映画プロデューサーの高比良 昇氏を中心に、商業映画やコマーシャルフィルムの作製に従事する関西在住の若い監督やカメラマン約20人が、自分達の住む街大阪を映像化する試みのために、日頃の仕事を離れ、資金を持ち寄って結集した。

 76年、様々な困難を乗り越え、4年の歳月をかけて映画「中之島」は完成。現在ではすでに姿を消した数多くのすぐれた建築物を映像に留め、大阪の文化と歴史・経済・社会を丁寧に描いた貴重な作品に仕上がった。

 この作品は大きな話題を集め、大阪を愛する人々との間に強い心の絆を生んだ。そして映画「中之島」の制作をきっかけに、地域の文化遺産を伝える仕事を自分達のライフワークとして、「大阪文化シリーズ」と銘うった映画づくりに取組むことになった。
 
 1980年に完成した第2作は、今日の大阪大学の源であり上方の学問の中心であった適塾の歴史を描いた映画「適塾」を完成させ、85年には、400年の歴史を誇る商人の街の姿を描いた第3作「船場」を完成。その後、第4作「大坂城・その歴史と埋もれた謎」、第5作「茶の湯と大坂人」と、3〜4年に1本のペースで次々に作品を生み出していった。

 「映画〝中之島〟製作グループ」の作品は、単なる記録映画にとどまらない。豊富な資料の検討に加え、町の古老や識者から熱心に話を聞き、ごく身近なものも見つめ直してゆく地道な姿勢を続けている。完成した作品は無料で公開され、要望に応じて貸出され、幅広い人々に地域の文化遺産を伝え、その意義を問いかけているのである。

 「大阪文化を考えるつもりで始めた映画づくりではなかった」と高比良昇さんは言うが、自分達が本当に撮りたい映画を求めてゆくと、心から愛する大阪がテーマに浮かびあがってきたのは当然の成りゆきともいえよう。映画と大阪への熱い愛情を原動力に、地域における「現代の語り部」の役割を担いながら、「映画〝中之島〟製作グループ」の活動は進められていった。

 1998年5月、第6作「大坂城 平成の大改修 築城の歴史とその変遷」は完成した。しかし、その2ヵ月後に高比良 昇さんは亡くなった。病魔と闘いながら最後まで執念を燃やし続け、上映用の映画のパンフレットもすでに用意されていた。まだ60歳だった。現在、「映画〝中之島〟製作グループ」はご子息の剛氏が代表代理として後を引き継ぎ、映像に記録された大阪の歴史と文化をより多くの人々にみてもらうために、これまでに作製された作品の管理・貸し出し、ビデオの販売などを行っている。

連絡先メースアドレス:[email protected]

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